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中内功さんのこと、ダイエーの行く末

9月だったか、ダイエーの創業者である中内功さんが亡くなられたことは、恐らく多くの方々と同様に、私個人にとっても、ひとつの時代が終わったという感慨をもたらした。というのも、私は社会人としてのスタートをある広告会社で迎えたのだが、その際のクライアントがダイエーであったのだ。私の生まれた3年後に大阪は千林で産声を上げたダイエーは、当時日の出の勢いで小売業初めての売り上げ1兆円を突破し、ローソンやカード事業あるいは外食、スポーツなど「生活に無くてはならない産業を目指す」として、生活文化総合産業へと猛然たる勢いで突進していた。その当時「一兆、吉兆、もう一丁」と題されたセールス・キャンペーンが張られたことを記憶しているが、この少しばかり無神経な、けたたましいタイトルに往時の関係者や周辺にいた我々の雰囲気が出ていると思われる。

 中内さんとはプレゼンテーションで二度ほどお目にかかったことがある。CVS事業のプレゼンテーションだった。当時ダイエーの本部は江坂にあって、普段と違って最上階の役員フロアでエレベータを降りると、赤い絨毯の両方で4、5人の秘書に出迎えられたことを思い出す。まだ入社3、4年目だった私は末席に座り、担当したコンビニの来店客調査パートの結果報告をした。中内さんは何時も好んでフィッシング・ベストを着用されていたのだが、その胸のところに色々な色のマーカーを何本も差し込んでおられ、熱心に私の報告を聞きながら、何色かのマーカーを使い分けてアンダーラインを入れておられた。既に伝説化していた偉大な経営者が私のような若造の報告をこんなに熱心に聞いておられることに、私はいささか感動していた。報告が終わるや否や、中内さんが質問をして来た。「あんたはこう言うたが、それは○○の間違いとちゃうか」恐らく利益に関する議論だったと思うが、営業利益と経常利益の区別もまだつかなかった私は、いっぺんにしどろもどろになってしまった。その日の中内さんはとても上機嫌で、「時間ができると、デパ地下(当時そうは言わなかったと思うが)を散策するのが楽しみなんですわ。世の中の動きが良くわかるよ」などと話しておられた。

 その後私は今の会社に転職し、ダイエーとの関係は希薄になった。ダイエーはいわゆる福岡事業などでコングロマリットとしてのピークを迎えるが、その後求心力を失い、産業再生機構の支援を受けるに至る。この間中内さんが世間の話題に上ったのは、震災を受けた神戸の町の復興に尽力されている姿だけだった。

 ダイエーは再生機構の手によって、事業を分割、売却され、食品スーパーを中核とした事業体として生まれ変わろうとしている。それとともにブランディングも刷新された。CEOである林文子さんは、「"主婦の店ダイエー"の原点に戻るべきである」とのメッセージを出しておられる。新しいブランドマークが決まり、メッセージも「ごはんがおいしくなるスーパー」となった。このメッセージを聞いたときには、文字通り腰から力が抜けていくのを感じた。我々が「半月弁当」と呼んでいたレイ吉村さん作の禁欲的なCIシンボルは、中内さんのお気に入りのデザインであり、日本のCI史上不朽の名作と思うが、このシンボルも次々に看板から下ろされていくだろう。

 大げさかもしれないが、自分が生きてきた時代が矮小化されていくようで、ちょっと複雑な気持ちだ。ご冥福をお祈りいたします。

 


TCDブランディングカンパニー プレジデント 岡田一雄